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ゴーン被告、どうやって日本から逃げ出したのか BBCインタビューで語る - BBCニュース

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ディアベイル・ジョーダン、サイモン・ジャック、ビジネス記者、BBCニュース

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2019年12月、ある寒い日の午後10時半、世界的な自動車会社の巨人は箱の中に横たわり、日本から逃げるための飛行機が飛び立つのを待っていた。

かつて日産自動車と仏ルノーを率いていたカルロス・ゴーン被告はBBCの独占取材で、「飛行機は午後11時に出発する予定だった」と話した。

「機内の箱の中で離陸を待った30分間が、人生で最も長く感じた待ち時間だったかもしれない」

今回の取材でゴーン被告は初めて、この逃亡劇について詳細を語った。

どのようにして東京の街を気付かれずにすり抜けたのか、なぜ大きな音楽機材の箱が選ばれたのか、そして故郷レバノンにたどり着いた時の高揚感はどのようなものだったのか。

「やっとこの話ができることに興奮している」とゴーン被告は語った。

その後、いったん保釈されたものの、中東オマーンの知人側に日産の資金を流出させたとして、会社法違反(特別背任)容疑で再逮捕。2019年4月に東京拘置所から再保釈されるまで、計108日間勾留されていた。

Music equipment box

画像提供, Getty Images

逮捕当時、ゴーン被告は日産とルノー会長を務めていたほか、2社に三菱自動車を加えたアライアンスのトップでもあった。

ゴーン被告のコスト削減策は当初は批判も受けたものの、究極的には日産を救った。その結果、ゴーン被告は尊敬と注目の的になった。

しかし取材の中でゴーン被告は、日産がルノーの影響から逃れようとする中で「巻き添えの被害」を受けたと語った。ルノーは現在、日産の株式43%を保有している。

「ショックを受け、凍りつき、トラウマを負った」

3年前に空港で逮捕された時について、ゴーン被告は「バスに衝突したかのうような、大きなダメージを負う出来事が起きたような感じだった」と振り返った。

「この瞬間のことで覚えているのか、ショックを受け、凍りつき、トラウマを負ったことだけだ」

ゴーン被告は逮捕後、東京拘置所へ連行され、勾留されている他の人たちと同じ服を着せられ、単独室に入れられた。

「突然、私は時計も、コンピューターも、電話も、ニュースも、ペン1本もなく暮らすことになった。何もなかった」

ゴーン被告の勾留は数カ月にわたった。保釈後は都内の自宅で24時間監視状態に置かれた。裁判の開始時期は不明で、数年かかる可能性もあった。そして、もし有罪となれば、刑期が最長15年に及ぶ可能性があった。日本では刑事裁判の有罪率が99.4%だ。

自宅にいた間、ゴーン被告は妻のキャロル氏との接触は一切行えないと言われた。逃亡を決めたのはこの時だったという。

Carlos and Carole Ghosn

画像提供, Getty Images

「計画では、私は顔を出せなかったので、どこかに隠れる必要があった」とゴーン被告は語った。

「隠れられるのは箱や荷物の中など、誰も私の姿を見れず、認識できないものだけだった。それならいけると思った」

また、通常は音楽機材を入れる大きな箱を使うのは「もっとも論理的だった。特に、日本では冬にたくさんのコンサートが開かれるので」と話した。

しかし、どうやって日本でかつてこれほど有名な(現在は悪名高い)人物が都内の自宅から抜け出し、空港へ行き、逃亡できたのだろうか。

ゴーン被告によると、計画ではその日はできるだけ普通に過ごすことにしていたという。

「いつもどおりの日に、いつもどおりの服でいつも通りに散歩し、いつも通りの態度で過ごして、突然全てを変える。そうしなくてはならなかった」

この計画のため、ゴーン被告は世界的な自動車企業の経営者として何年も着てきたスーツから、ジーンズとスニーカーというカジュアルな服装に切り替えなければならなかった。

「今まで行ったことのない場所で、買ったことのない服を買わざるを得なかったのが想像できるだろう。こうしたことは全て、成功のチャンスを最大限にし、注目を浴びないための努力だった」

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「その瞬間だけを考えていた」

ゴーン被告は東京から新幹線で大阪へ移動し、プライベートジェットの待つ空港へと向かった。しかしその前に、近くのホテルで箱が待ちうけていた。

「箱に入ったら、過去も未来も考えず、ただその瞬間のことだけを考えていた」

「恐怖もなく、ただ『この機会を逃すわけにはいかない。失敗すれば日本で人質生活を送ることになる』と集中する以外の感情もなかった」

ゴーン被告は、米陸軍特殊部隊の元隊員で、演奏家を装った民間セキュリティー専門家のマイケル・テイラー被告と、息子のピーター・テイラー被告によって、ホテルから空港まで移動した。

箱の中にいたのは1時間半ほどだったと言うが、「1年半」ほど続いたように感じたと、ゴーン被告は語った。

Michael Taylor and his son Peter

プライベートジェットは予定どおり出発し、箱から出たゴーン被告はまずトルコへ到着。そこで飛行機を乗り換え、翌朝にはレバノンの首都ベイルートに到着した。

レバノンと日本の間には容疑者引き渡し条約が結ばれていないため、ゴーン被告はレバノン滞在が認められている。

また、ゴーン被告の報酬の過少申告を助けたとして逮捕された日産の元取締役グレッグ・ケリー被告は、現在も東京の自宅で保釈中の身だ。

日本に残された人々について、ゴーン被告はどう思っているのだろう。

「(ケリー被告の)裁判が年末にあるだろうと聞いている。この裁判の結果はどんなものであれ、いんちきの理由によるものだ」

「日本の人質司法の犠牲者全員を気の毒に思っている」

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<解説> サイモン・ジャック、ビジネス編集長

先駆者であり、先見の明の持ち主であり、エゴの塊であり、部外者。

レバノンとブラジルに国籍を持つカルロス・ゴーン被告はこの全てに当てはまる。

ゴーン被告の暮らしは、一企業の社長というよりは一国の主だった。たまたま自身の60歳の誕生日と重なったという日にヴェルサイユ宮殿で企業パーティーを開き、ウェイターには革命以前の服を着せた。

ルノーと日産のトップとして、ゴーン被告は両社の一部の人たちが抱えていた不安の矢面に立っていた。日産では、ゴーン被告が救済した伝統的な日本企業に対するフランス側のクーデターを見過ごすのではないかと恐れられていた。一方のルノーでは、上層部を無視したり、パリの社交界雑誌のページを飾ったりする振る舞いが嫌われていた。

グローバル企業のトップは誰であれ、政治的な違和感に敏感でなくてはならない。しかしゴーン被告は、東京での逮捕で完全に不意を突かれていた。日産を20年近く率いてきたにもかかわらず、近づけようとしていた2社とのつながりを失っていたのだ。

おごり、企業、世界政治、ハリウッド映画にふさわしい逃亡劇……。ゴーン被告の物語は全てが詰まっている。ゴーン被告は自らについて、犯した罪以上の罰を受けていると主張。弁護団と協力して汚名をそそぎたいと述べている。

しかしそれまでは過去の大物として、ベイルートで武装した警備員のもと、亡命生活を送ることになる。

それは、この類まれなドラマのエンディングとして、ゴーン被告が望んでいるものではない。

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BBC4のドキュメンタリー番組「ストーリーヴィル」では、7月14日に「Carlos Ghosn: The Last Flight(カルロス・ゴーン:最後のフライト)」を放送予定(イギリスのみ

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