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「魚と人、思いあれこれ」 東北大学コラム(仙台放送) - Yahoo!ニュース

魚と人、思いあれこれ

1. サカナを食べるとサカナが無くなる

宮城県は水産業の盛んな土地ですが、2019年にはアユやサンマ、サケなどの漁獲量減が報じられており、原因や対策について続報が気になるところです。中国の古典をひもとくと、『春秋』という書物に、「観魚」と言って領主が漁民たちの漁を見物していたことが記され、『孟子』や『荀子(じゅんし)』には、目の細かい網で魚を捕らない、魚類の繁殖期には漁を禁ずるといった政策が提言されています。これは春秋戦国時代(紀元前8~紀元前3世紀)の状況ですが、各種の道具を使った大がかりな漁が行われるとともに、持続的な資源利用が課題となってもいたことがわかります。

養殖はどうでしょうか。零細な記録は割愛することにして、まとまった資料としては6世紀の農業技術書『斉民要術(せいみんようじゅつ)』に「養魚」の項目があり、養殖池のしつらえや、最初に投入する魚あるいは魚卵の入手方法などが指南されています。

2. 名もない虫を踏みつけられない
この『斉民要術』が編(あ)まれた中国の南北朝時代は、インドから伝えられた仏教が中国に深く根を下ろし始めた時代でもありました。仏教には「放生(ほうじょう)」と言って、食用として売られる動物を買い取って逃がす実践があります。「放生」という言葉は中国の古典『列子』の語を借りたもの、『列子』では何やら日本の落語めいた皮肉も含むのですが、今は触れないことにします。とにかく、中国や日本の仏教徒は放生にいそしんだのです。

『続高僧伝』という書物には6~7世紀の中国で活躍した僧侶の伝記が集められていますが、そこに見える僧旻(そうみん)という僧は、集まったお布施をしばしば放生に費やしていました。なぜ同じお金で大きな法要を営まないのかと問われた彼は、理由の一つに法要をすれば煮炊きのためにたくさんの虫を殺してしまうことを挙げています。法要では説法や祈祷(きとう)が行われるほか、参加者に食事が振る舞われたのでしょう。穀物や野菜にはもちろん、かまどにも井戸にも虫や小動物が住んでいます。大きな行事の調理場では、点検がゆきとどかず犠牲が多くなってしまうということでしょう。

3. 誰のために池をつくるのか

放生の儀式では、魚介類は放生池(ほうじょうち)という池をつくってそこに放します。仏教徒にとって、池は魚を増やして食べるためではなく、救うために掘られなければならないのです。

先に触れた『続高僧伝』に、僧崖(そうがい)という人の伝記が収められています。彼が生まれたのは今で言えば四川省の山あい、ジョウ(けものへんに襄)という少数民族の集落で、言葉も漢民族とはちがっていたようです。村では漁労が営まれていましたが、僧崖は殺生を肯(がえ)んぜず自分の漁具を焼いてしまいます。ある日、村人たちが魚の養殖池を作っていると、尾を上げれば雲を突くほどの巨大な蛇が現れて水の中に入ってゆきました。驚く人々に僧崖は池の造成を取りやめるよう諭(さと)し、彼らがなおもしぶっていると、池の堤防がひとりでに壊れてしまった、と『続高僧伝』は記します。

やがて僧崖は故郷を離れ出家しますが、彼は出家前から、この憎むべき肉体をいつか焼いてしまおうと口にしていました。果たして老年に達した彼はまず自分の手の指を燃やし、最後には積み上げた薪(たきぎ)の上で全身を焼いてしまいます。「遺身」や「捨身」などと呼ばれる行です。なぜそうなるのか説明することは控えますが、僧崖にあっては、自分の肉体への厭悪(えんお)はつねに他者への慈愛をともなうものでした。彼は自分の手を燃やしながら肉食の禁止を人々に説き、またある破戒僧は僧崖の最後の捨身を見て酒肉を断ったと伝えられます。

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February 29, 2020 at 06:01AM
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