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東日本大震災から今年で10年。福島県いわき市立豊間中学校の旧体育館にあったピアノは津波にのまれ、砂まみれの状態で発見されました。修復不可能だと思われた楽器を見事によみがえらせたのは、同市の調律師、遠藤洋さん(62)。後に「奇跡のピアノ」と呼ばれるようになった、修復の軌跡をうかがいました。
震災後、遠藤さんがピアノを修復するきっかけになったのは、刻まれていた寄贈者の名前でした。
「特別な思いがあって贈った人がいたのに、それを台無しにするのは切ない」と、心が動いたそうです。
しかし、海水に浸かったピアノを修復した経験は一度もなく、作業は試行錯誤の連続でした。丁寧に洗浄しても、残った塩分を完全に取ることは難しい。さびたネジが折れないように慎重に進める必要があるなど、修復作業は「ピアノとの戦い」だと言います。
それでも、半年にわたる手当てを経て、ピアノは美しい音色を取り戻しました。2011年のNHK紅白歌合戦で嵐の桜井翔さんが弾いたこともあり「奇跡のピアノ」として広く知られるようになりました。
若い頃からギターを弾くのが趣味だった遠藤さん。調律師になる前は、JRの前身・国鉄に勤めていました。楽器製作所の近くでアルバイトをしていた兄の元に遊びに行くうちに、ピアノの調律を見学して「これが自分の仕事かもしれない」と感じるようになりました。
それまでにピアノを弾いたことは一度もなく、安定した仕事を辞めることに周囲から反対もありました。しかし、意思を貫いて調律師に転職し、修業期間を経て、38歳のときに独立します。
音程だけでなく、むらのない音色、鍵盤のタッチ感など、細かなところまでこだわるのが遠藤さんの信条。ピアノの弦や、音を鳴らすハンマー、フェルトなどの部品をすべて取り外し、再度組み立てる「オーバーホール」と呼ばれる作業を何度も行いました。
「自分の中で『プラスα』を常に求め、ピアノの調律をしてきたからこそ、被災したピアノを調律することができた。仕事に対する信念を持つことが大切」だと、語ります。
震災の記憶を伝える「奇跡のピアノ」に関するイベントは、各地で行われてきました。現在は、地元のいわき震災伝承みらい館で展示中です。3月11日には、ミニコンサートが開かれました。
遠藤さんは培ったノウハウを生かして、豪雨災害などで水没したピアノの修復を数多く手がけるようになりました。最近まで作業していたのは、昨年7月の九州豪雨で被災した熊本県球磨村立渡小学校のグランドピアノです。経営する「ピアノショップいわき」に、球磨村を支援する兵庫県のボランティアから相談があり、依頼を受けました。
修理を進めるなかで「ピアノは人生の節目、節目で弾かれる楽器であり、校歌や合唱がしみこんだ、心に残る楽器なのだ」と、より実感したと言います。渡小学校のピアノは修理を終え、21日に球磨村で開かれる式典で演奏される予定です。被災している人たちに少しでも明るい話題を届けたいと、遠藤さんはこのピアノを「希望のピアノ」と呼んでいます。
自分が被災した経験から「災害はいつ起きるかわからない。備えて、考えておくことが大事」と語気を強めます。「事前に準備しておくものは何か? 家族の集合場所は? 決めることはたくさんある。最悪の状況を想定して、自分で身を守ってほしい」という言葉は切実です。
(高2・岩瀬周、高1・富田涼真記者)
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