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母マリアさんはどうやってウクライナから日本に逃れてきたか|ボルシチを召し上がれ - 日刊ゲンダイDIGITAL

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 ウクライナ料理と民族楽器バンドゥーラの弾き語りを楽しむ「食と音楽のカテリーナの夕べ」は日本に避難してきた母・マリアさん(69)が仕込みから料理の手伝いをする。

 マリアさんは10年前にチェルノブイリ原発事故で被ばくした夫を亡くした後、キーウで畑仕事をやりながら一人で暮らしていた。ところが、2月24日のウクライナにロシアが軍事侵攻する。娘のカテリーナさんはすぐに日本に避難することを提案するが、母は頑としてキーウに残ると言い張ったそうだ。

「もうどこへも逃げたくないと、私の言うことを聞きませんでした。チェルノブイリからの避難を経験しているからです。あんなにつらい思いはもう嫌だと言って……」

 カテリーナさんはビデオ電話で母の説得を続けた。戦況が悪化し、3月1日のキーウ攻撃で、いよいよマリアさんの身に危険が迫った。もうマリアさん一人を祖国に置いておくことはできない。

「ママ、逃げるのとは違うの。私が暮らしている日本にすぐに来て!」

■16日間の過酷な避難の道のり

 カテリーナさんの強い願いがかない、マリアさんは3月6日、ようやくウクライナを脱出することを決意した。

 だが、そこからが孤独で過酷な道のりの日々だった。国境近くまで行く列車に乗った時の様子をマリアさんはこう語る。

「列車は人でいっぱいで、まるで缶詰の魚のようだったわ。立ったまま11時間も乗ったの」

 列車を降りてからはバスに乗ったり歩いたりを繰り返した。さらに長蛇の列ができた10時間の入国審査の後、どうにか隣国ポーランドに入国することができた。避難所で孤独な5日間を過ごした後、そこでようやく日本から迎えに行ったカテリーナさんの夫と会うことができた。

 ポーランドの日本大使館で入国ビザを申請した4日後、3月20日にロンドン経由で日本への飛行機に乗り継いだ。3月21日、16日間かけて、ようやく羽田空港に到着することができたのだ。

 母に会うまでの1カ月間、カテリーナさんは心配で「バンドゥーラの演奏をする気になれず、眠れない日々が続いた」と当時を振り返る。

 そんなカテリーナさんとマリアさん母娘をテレビが大きく取り上げ、マリアさんはカテリーナさんとともにウクライナの語り部として注目されている。2人で料理している時は、意見の食い違いから笑いながら言い合いをすることもしばしば。はたから見ると、なんともほほ笑ましい光景である。

 今回紹介するのは冷たいボルシチ。ボルシチはウクライナの温かい料理と思われがちだが、実は冷めたボルシチもよく食べるという。温かいボルシチ派のマリアさんに対して、カテリーナさんは冷たいボルシチ派だ。

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September 21, 2022 at 04:00AM
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