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取材のためアフガニスタンを訪れていたインド人女性ジャーナリストは、タリバンによって首都カブールが制圧された翌日、一刻も早い出国を試みる──。当時の混乱と緊迫の一部始終を、香港紙「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」に寄稿した。 【動画】現地を脱出した女性ジャーナリスト、緊迫の一部始終
無事に出国できるのか?
8日16日、カブール空港では、タリバン統治下で生活していくことを恐れるアフガニスタン人が詰めかけ、混乱が生じていた。 現地の関係者たちは私に、ホテルから出ないでじっとしているように忠告してくれた。タリバンが支配していた他州の地域を回ったことがある関係者の一人は、「カーテンを開けてはいけない。タリバンの人間がその辺を歩いているから」とメッセージを送ってくれた。 けれども、私は帰国したかった。そのときには、民間航空機の運航は停止されており、私が座席を確保していたカブール発インド行きの2便も、翌日に予定通り離陸できないとわかっていた。 私が出国できたかどうか気にかけてくれた現地の女性関係者たちの言葉を聞いて、私はさらに不安になった。タリバン兵はアフガニスタン人の女性ジャーナリストを捜索していると、彼女たちは教えてくれた。「でも外国人の女性ジャーナリストも同じように危険なんですかね?」と私は尋ねてみた。 すると「あなたはインド人だから」という答えが返ってきた。その言葉の裏に響いていたのは、私の短いカブール滞在の間に聞かされた、「アフガニスタン人はインド人に友好的だが、タリバン側の人間はインド人を憎んでいる」という話だ。
囚人解放による交通渋滞
インド政府はアフガニスタン政府を強力に支援し、タリバンとは敵対していた。インド政府とタリバンの間に、直接の交渉ルートは存在しない。 次にどう動くべきか考えていると、私と同僚の女性ジャーナリストのところにインド大使館から連絡があった。私たちはその日一日中、避難させてほしいと何度も求めていたが、それに応えてくれたのだ。 その日の深夜にインド空軍の飛行機でカブールを脱出する予定なので、2時間以内に大使館のある地区に来るようにと言われた。パッキングはもう終わっていた。 信頼できるタクシーの運転手に急いで電話をすると、迎えに行くまでに時間がかかると言われた。後になってわかったのだが、彼はカブールの東の外れにあるアルザン・キマト地区からやってくる際、恐ろしい交通渋滞を抜けなければならなかった。 その地区の近くには、プル・エ・チャルキー刑務所がある。15日にタリバンが権力を掌握するとすぐに、多数の服役囚が解放された。そのような状況下で、地域住民たちが急いでお金を引き出したり、物資を手に入れたりしようとしていたのだ。 用心しながらホテルから出ると、通りはがらんとしていたが、アフガニスタンの伝統衣装サルワール・カミーズを着た男性たちが周辺をパトロールしているのが見えた。検問所を設けて、自動車を停めている者もいる。彼らはロシアのカラシニコフ製ライフルのようなものを持っていた。
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August 29, 2021 at 07:00AM
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